小さな神様
河野 美砂子

 第二楽章を弾き終わって、元イ・ムジチ合奏団のリーダー、当時七十四歳のピーナ・カルミレッリさんはこうつぶやいた。
「なんてきれいな曲なんでしょう。この年齢になるまでこの曲を知らなかったなんて……。」
 ピアノの向う側に座っているピーナさんを見て、えっ、と思った。ヴァイオリンを左手に持ったまま涙ぐんでいるのがわかる。当時、まだ若くデビュー後間もない私とチェロ奏者の夫・河野文昭は、その言葉に何も答えることができないまま、彼女のピュアな感性にただただ圧倒される思いで座っていた。
 今から十七年前の話になる。ベートーヴェンのピアノトリオ第一番の、初練習の時のエピソードだ。
 たまたま京都で共演することになった私達は、初めての練習に際し緊張していた。ピーナさんは、ストラディヴァリウスの名器を使う国際的なソリスト。彼女から見れば、二人は孫のような世代で、しかも無名の東洋人チェリストとピアニストである。が、ピーナさんはそんなことは全く気にしない。ただ楽譜上の音符を何の先入観もなしに実際に音に出してみて、その「音楽」に心をゆさぶられたのだ。
 この四月から『ベートーヴェンとの対話』と題したピアノトリオ全曲演奏会を、京都で開催している。九曲のピアノトリオを作曲年代順に演奏する企画で、今までに二回の演奏会が終わった。九月下旬の最終回公演のため、目下、「大公(たいこう)トリオ」他を練習中。チェロは、河野文昭。ヴァイオリンは四方恭子さん。二年前までドイツ・ケルン放送交響楽団のコンサートミストレスを十六年間務めていた人で、私達と同世代というのが心強い。
 四月の第一回公演では、あのピーナさんと出会った第一番を久しぶりに演奏した。
 しきりに思うのは、「年齢を重ねる」ということである。
 原典版の楽譜は、ベートーヴェンの書き残した音符や記号のみが印刷されているのだが、そこから何を読みとり、どう感じるか、という点に関して、若かった私は、本当に青臭かった。速いパッセージや勢いのある箇所は、根性モノで練習して、それなりに弾いていたはずだが、たとえば、ピーナさんが涙した第二楽章アダージオ・カンタービレ(ゆっくりと歌うように)をどのように弾いていたかと思うと、どっと冷や汗が出る。さらに若かった学生時代、生意気にも「〈カンタービレ〉って楽譜に書いてあるけど、私がホントに心の底から『歌いたい』と思ってへんのに歌ってるフリして弾くのはウソや。」と思っていた。
 この四月の演奏会では、以前と何が違ったのだろうか。
 年齢を重ねたから味のある演奏になった、と言い切れるほど単純な話ではない。けれど、一つ一つの和音やパッセージに気持ちがついていく、という感触は以前より確かだ。第二楽章では、鍵盤上の私の「手」が歌わずにはいられない感じがあり、それを喜ぶ耳と心がある。心が、手や音楽に育てられた、というと、実情に近いだろうか。
 それまでの私の試行錯誤は、音楽家ならほとんど誰もが経験することなのだと思う。技術の問題は、たぶん結局は小さい。長い間、音楽と自分の来歴との折り合いを探っていたのだと、今になって気づく。そのことが音楽に向かうエネルギーになっているとしたら、年齢を重ねることは、音楽家にとってはひとつの財産なのかもしれない。
 そして、年齢を重ねたピーナさんを思い返したことは、今回、最後のトリオ「大公」を演奏するにあたって、何かのめぐり合わせのような気もする。彼女の音楽に対するあの混じり気のない気持ちは、私の音楽の拠り所となり、今となっては、小さな神様みたいにも思われるのだ。
 亡くなられてもう十年あまり。
 ピーナさん、私達のトリオをどこかで聞いていてくれますか。
−朝日新聞夕刊/05年9月9日掲載分−

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