・前奏曲 KV284a ◆ブログ「モーツァルトに会いたい3」はこちらへ。
・アレグロ ト短調 KV312 同 「アマデウスへの手紙3」はこちらへ。
・指の練習 KV626b/48
・ソナタハ長調 KV279より 第3楽章
・ロンド イ短調 KV511
・ソナタ ヘ長調 KV533 + KV494
プログラムノート ―――――――――――――― 河野美砂子
前回までの「モーツァルトに会いたい」シリーズでは、演奏の合間に、その曲の成り立ちやエピソード、あるいは演奏の裏話などをお話していましたが、今回は、谷川俊太郎さんが来てくださいましたので、その朗読やお話をお聞きすることにしたいと思います。曲目に関しては、以下をご覧ください。
シリーズ第3回目の今回は、「モーツァルト・マニアック」と副題を付けましたとおり、演奏されることの少ない作品を中心にプログラムを組みました。
最初に演奏します「前奏曲KV284a」は、以前は1778年にパリで書かれた「カプリチォ」と考えられていましたが、その後、手紙の内容や、自筆譜の紙質の科学的な研究などにより、1777年作曲とされるようになりました。姉のナンネルが、弟のモーツァルト宛の手紙の追伸に「c(ハ長調)からb(変ロ長調)進むプレアンブル(前奏曲)を送ってね。」と書いたものがこの曲だろうと推測されています。
当時の前奏曲には二つの目的がありました。一つは、次の曲への導入。もう一つは、クラヴィア(当時のピアノ)の性能を試す、ということです。鍵盤のタッチの加減、調律の具合、各音域での響きなどを試すのに、こんな曲が弾かれたと想像するだけで楽しいものです。
曲は、アレグレットから始まり、すぐに、小節線のない(拍子がない)パッセージが延々と続きます。めまぐるしくテンポや曲想が変化し、最後は4/4拍子のカプリチォ。曲は唐突に終わります。よし、この楽器の具合がわかったぞ、とでもいう感じでしょうか。
次の「アレグロ ト短調KV312」は、実は、未完の作品で、自筆譜は展開部の途中までで中断、その後、誰だかわからない人の筆跡で書き継がれています。モーツァルト晩年の窮乏生活のなかで、借金のために書くソナタの第1楽章だったと考えられています。
ピアニストとして私が何よりも興味があるのは、この曲が短調のソナタだということです。モーツァルトの全作品中、短調で書かれたものはたいへん少なく、でもその短調の曲がいずれも名作であることは有名ですが、私自身の実感として、案外、完成されず断片として残っている短調の曲が多い、と言えるような気がします。そういえば、昨年6月の「モーツァルトに会いたいA」での「ピアノトリオ」の回にも、断片の短調のトリオを演奏しました。
3曲目は、演奏会で弾かれることは、まずないと言っていい曲「指の練習 KV626b/48」です。モーツァルトは、作曲家として生計を立てる以外に、ピアノ教師としても生活の糧を得ていました。これは、ピアノ教師としてのモーツァルトが残した、ほとんど唯一の教材です。面白いことに、細かい音符(16分音符)のすべてに、指使いの数字が書き入れてあります。モーツァルトの場合、他に指使いが書き入れてある曲はほとんどありませんので、これはたいへん貴重なものです。今回、この指使いで弾いてみて、一般的な現代の私達が使う指使いとはかなり違う、特異なものに私自身驚きました。ですが、そこから読み取れることがいくつかあります。――
少し専門的な話になりますが、モーツァルトは、細かい音符をすべてポリフォニック(複数の声部)なハーモニーとして捉えていたこと、また、連続する16分音符を4つづつアーティキュレイト(区切る)していたことなどが読み取れます。――
難しい話はさておき、練習曲ではあってもさすがモーツァルト、響きがとてもきれいです。曲の最後は、まだまだ続くように書きさしのままなのですが、今回は、一応曲を終わらせたいので、一音だけ私が音を変えて弾きます。
前半の最後は、「ソナタハ長調KV279」より第3楽章を演奏します。現存するモーツァルトのクラヴィア(当時のピアノ)ソナタの中の最も早い時期のもので、モーツァルト19歳の時の作品です。陽気で、生き生きとしていて、ウィットに富んだ曲想は、モーツァルトの若い時期の一番の魅力と言っていいでしょう。でも、ただの明るい曲ではなく、ポリフォニー的な線の綾などがあちこちに隠れていて、それが時々アタマを出してくるのが、なんとも素敵です。
後半は、「ロンド イ短調 KV511」の演奏で始めます。―― こういう曲を前に、いったい何を語ればいいのでしょう。
ロンドは、ABACABAという形式の、元来は明るく軽い曲です。この作品は、形式こそ「ロンド」ですが、その内容の深さという点で、およそロンドのイメージとはかけ離れています。
この作品は、1787年3月11日作曲(今日は3月10日です!)。1787年は、モーツァルトにとって、オペラの大作「ドン・ジョヴァンニ」作曲と、父親の死の年でした。同年4月4日、まだ存命の父レオポルトに、モーツァルトは手紙を書きます。「……死は、ぼくたちの生の真の最終目的ですから、数年この方、ぼくは人間のこの真の最善の友ととても親しくなって、その姿がもう何の恐ろしいものでもなくなり、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています……。」
最後に、演奏時間約20分の大作「ソナタ ヘ長調KV533 + KV494」を弾いて、今回の「モーツァルトに会いたいB」を終わりたいと思います。
この曲は、まず第3楽章の「ロンドKV494」が、単独で1786年に作曲、出版されました。その後、1788年に第1楽章と第2楽章にあたる「アレグロとアンダンテKV533」が作曲され、これらが結局一つのソナタにまとめられました。その際、第3楽章のロンドは、大きなソナタを締め括るのに相応しいよう、最後の部分が改作されています。
モーツァルトの晩年のソナタの中では、なぜかこの曲はあまりポピュラーではないのですが、今回実際に私自身が音を出してみて、その音楽的な魅力に富んだパッセージやハーモニーに、本当に新鮮な喜びを何度も味わいました。第1楽章のポリフォニックな線と躍動するパッセージ。第2楽章の深さ。一転して、第3楽章の愛らしさ。
この曲は、さきほどの「ロンド イ短調」と同じ時期に書かれたということを考えると、やはりモーツァルト晩年(といっても30歳を越えたばかりですが)の、ただならぬ作品の力というものを感じます。
まったくの偶然で、私もずいぶん後になって気づいたのですが、この曲の冒頭のテーマ(メロディ)は、今回の一番最初に弾いた「前奏曲」の冒頭のテーマとまったく同じ(ハ長調とヘ長調という違いはありますが)です。お気づきになった方はいらっしゃるでしょうか?
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