「モーツァルトに会いたい」―ソロピアノ曲でたどるモーツァルトの生涯 

2006年11月7日(火)午後7時 京都芸術センター 講堂


■当日プログラムノート ―――――――― 河野美砂子


 モーツァルトは、35年の短い生涯の中で、本当に多くの作品を残しました。
 かつては「疾走する哀しみ」として、また現在は「癒しの音楽」として、彼の曲は人気が高いようですが、多くの作品を実際に聞いた演奏したりしますと、「哀しみ」や、単なる「聞きやすい音楽」とはまったく違うことに気がつきます。モーツァルト自身は、自分のことを「オペラ(=ドラマ)の作曲家」と自負していたことでもわかるように、その音楽はたいへん多面的です。
 今夜の「モーツァルトに会いたい」−ピアノ曲でたどるモーツァルトの生涯−は、皆様にお聞かせしたい曲があまりにも多いため、曲を選ぶ段階で、一晩でその生涯をたどるのは実際には不可能ではないか、と真剣に思ったこともありました。ですが、なんとかモーツァルトのさまざまな面が楽しめるよう、一晩のプログラムを試行錯誤、工夫いたしました。特に、少年時代の小曲は、大きなコンサートホールのフルコンサートグランドピアノで弾くより、京都芸術センターの親密な空間と、そこに約100年前から伝わる楽器・ペトロフによって再現される方が、よりふさわしいのではないかと期待しているところです。
 今夜のひととき、モーツァルトの音楽を通して、皆様と何らかの交流が生まれれば幸いです。

◆この演奏会は、基本的に、作曲された年代順に演奏いたしますが、最初の「ロンド ニ長調 KV485」は例外で、1786年モーツァルト30歳の時の作品です。いわゆる「モーツァルトらしい音楽」というイメージは、たとえばこの曲の持つ愛らしいメロディ、生き生きとした動きなどに代表されるのかもしれません。
 冒頭のテーマは、クリスチャン・バッハの「五重奏曲 Op.11-6 ニ長調」からのものですが、モーツァルトは、このメロディの一部を、自身の「ディヴェルティメント KV 136」「4手の為のクラヴィア*ソナタ KV358 第2楽章」などにも使っています。何度も同じテーマが繰り返されるのが〈ロンド形式〉ですが、この曲は、さすがモーツァルト30歳という晩年に近い時期の作品で、そのテーマは合計7つの調性で登場します。それぞれの調の色合いの違い、といったものが隠し味になっているようです。
              
   (*「クラヴィア」というのは鍵盤楽器の総称です。モーツァルトの少年時代は、現在私達が「ピアノ」と呼んでいる楽器はまだ存在せず、主にチェンバロが使われていました。モーツァルトの青年時代から徐々に「フォルテピアノ」という、現代のピアノの前身の楽器が使われるようになりました。)

◆次に、少年時代の小品をいくつかご紹介します。
 モーツァルトの父親・レオポルトは、息子への熱心な教育者としても伝説的ですが、「KV1a」「KV1b」(1761年)の2曲はレオポルトの手で「ヴォルフガンゲル5歳の最初の3ヶ月の作曲」と書かれ、レオポルトが書き取った楽譜が残されています。「KV1c」は、1961年12月11日の日付。いずれも10小節あまりの本当に短い即興的なものですが、3曲目など、モーツァルトファンの方なら、すぐにパパゲーノ(後年のオペラ「魔笛」の登場人物)を思い出されることでしょう。
 「KV2」は1762年1月、「KV3」は1762年3月4日という記録が残っています。最初の3曲から約1年後の6歳の時の曲で、比較すると、音楽の「形」が整いはじめ、作品としての自覚といったものが感じられるようになっています。
 「ロンドン・スケッチ帳」(1764年)は、モーツァルト8歳のロンドン滞在中に書かれた小品のノートで、40曲あまりが書かれています。「KV15hh」は題名はありませんが、ヘ長調のメヌエットへ短調のトリオの部分が印象的です。「プレスト KV15ll」は、目まぐるしい動きが、少年モーツァルトを彷彿とさせます。
 有名な14歳の時の肖像画「ヴェローナのモーツァルト」の中で、チェンバロの前に広げられた楽譜が、次に弾く「モルトアレグロ ト長調KV72a」(1769年)です。楽譜は、現在、断片(35小節)しか残っていません。活発な動きのある曲で、ソナタだ1楽章の提示部部分だったのでしょう。提示部が終わる直前の所で、まったく突然に楽譜がなくなってしまうので、とにかく提示部を終わらせるため、あと5小節ほど私が曲を付け足します。

◆モーツァルトには、天真爛漫だった少年としてのエピソードがいくつか残されており、音楽もまたその通りのものが数多くあります。ですが、時々、いきなり深淵をのぞくような、本当に驚くほど深い音楽をも書いています。「クラヴィアソナタ KV280(ヘ長調)・第2楽章 アダージォ ヘ短調」(1775年)は、その典型といえるでしょう。19歳になった青年モーツァルトは、ミュンヒェンで、デュルニッツ男爵のために6曲のクラヴィアソナタを作曲。これはその2番目です。
 面白いことに、この第2楽章の冒頭のテーマは、その2年前の1773年にハイドンが作曲したクラヴィアソナタ「エステルハージ・ソナタ 第3番 第2楽章 アダージォ」と、調もメロディもそっくりで、明らかに、モーツァルトはこのハイドンの曲に刺激されて「アダージォ」を書いたのだと思われます。
 このテーマは、モーツァルト自身の他の曲にも関連があって、後年の「フルート四重奏曲 KV285 第2楽章 ロ短調」や、「ピアノコンチェルト KV488 イ長調」の中の名曲「第2楽章 嬰へ短調」のメロディともそっくり。彼自身にとって、このテーマは相当な重みがあったようです。

◆第1部の最後に演奏しますのは、「〈私はランドール〉による12の変奏曲 変ホ長調 KV354」(1778年 22歳)です。
 18世紀当時、変奏曲はたいへん人気のあるジャンルで、現存するモーツァルト全16曲のクラヴィアのための変奏曲が、すべて彼の生前に出版されていることからもそれがわかります。変奏曲は、テーマを流行の歌などなから取ることが一般的で、この変奏曲は、当時のパリでよく知られた「セヴィリヤの理髪師」の〈私はランドール〉(ボドゥロン作曲)のメロディを使っています。(ボーマルシェ作の「セヴィリヤの理髪師」は人気があり、歴史上10人以上の人が作曲を試みています。一番有名なのはロッシーニのものですが、それは1816年ですから、ずっと後のこのになります。)

 実は、この曲の演奏に関し、私が今晩の形で弾くのにはさまざまな経緯がありました。
 何年か前のこと、モーツァルトの変奏曲を探している時にこの曲の楽譜を読んでみて、よくできている曲にまずびっくりしました。後で知ったことですが、モーツァルト自身もこの曲を気に入っていて、何度も人前で演奏したそう。弾いてみて、彼が得意になって演奏する姿が見えるような気がしました。
 ただ、各変奏曲自体は非常に充実しているのですが、構成にほんの少し疑問あり……、と思って練習していたところ、ヘンレ原典版、ウィーン原典版、新モーツァルト全集(いずれも初版に基づいた版)以外に、変奏曲の順序が異なった版もあることを知りました。
 途中の経緯は省きますが、その異なった版の、メヌエット変奏曲が12番目に来る曲順の方が音楽的にはるかに魅力的なので、今夜はそちらの順番で弾きたいと思います。最後のカデンツァ(奏者が即興的に腕前を見せる所)は、モーツァルト自身は、メモ程度にしか書き残していないのですが、彼が人前で演奏した時には、必ずファンタジーに富んだカデンツァを弾いたはずで、今夜はそれにあやかって、河野美砂子ヴァージョンのものをご披露したく思っています。

  (第 一 部  終 わ り)  ―――― 休  憩 ―――――

◆第二部は、「ソナタ ハ長調 KV330・第1楽章」(1783年 27歳)で始めます。
 「かつてモーツァルトが書いた最も愛らしいものの一つである。」(アルフレート・アインシュタイン)の言葉でもわかるように、本当に魅力的な音楽です。
 でも、ただ愛らしいのではなく、展開部など、必要最小限の音で、次々と調が移り変わってゆきます。「大切なことは、少ない音で、小さな声で言う。」という言葉を思い出しました。
 本当は、第2楽章、第3楽章も弾きたかったのですが、どうしても時間オーバーで、泣く泣く今回はあきらめました。特に第2楽章、中間部へ短調の部分など、ぜひまた聞いて頂きたいものです。

◆愛らしいソナタの後に、モーツァルトの全く別の一面を見ることにしましょう。
 モーツァルトは、いわゆる職業音楽家としての意識が高く、基本的に、注文があるから曲を書く、という態度がほとんどでした。が、「アダージォ ロ短調 KV540」(1788年 32歳)だけはそういう形跡が見られません。何の目的で作曲したのかわからないのです。しかも、晩年のモーツァルトが自ら作った目録にこの曲を記し、「1788年3月19日」と書き入れています。相当な自負があったと思われます。
 「ロ短調」という特殊な調であることもこの曲を特異なものとしています。数あるモーツァルトの曲の中で、ロ短調作品は、単独のものとしてはこの曲1曲のみです。若い頃にもモーツァルトは深淵をのぞくような作品を書いていますが、この曲は、もっと厳しい、余分な抒情や歌などもそぎ落としたような音楽になっています。
 一方、冒頭のテーマは合計6種類の調性で何度も繰り返され、今夜の最初に弾いた「ロンド ニ長調」と同じ時期の作品としてみれば、30歳を越えたこの時期、モーツァルトは、さまざまな調性の展開の可能性にとても興味を持っていた、と言えるのではないでしょうか。

「ジーグ ト長調 KV574」(1789年)は、33歳のモーツァルトが、ライプツィヒを訪れた際、トーマス教会(バッハが長務めていた教会)のオルガン奏者のゲストブックに書いたという短い曲。モーツァルトは、大バッハの作品を多く知っており、ポリフォニックなこの曲は、小品ながら本当に弾いていてぞくぞくします。
 音楽家として成長するにつれ、モーツァルトは、父親から「もっとわかりやすい曲を書け」とも言われましたが、この「ジーグ」や、続けて弾きます「メヌエット ニ長調 KV355」(1789年)は、同じ音楽家として私自身が音を出してみて、小品であるのに、その大胆でしかも微妙なハーモニーに、本当に感激します。
 曲は未完で、最後の12小節はM.シュタートラーが補筆、さらに私が修正を加えました。

◆今夜の会を締めくくるのに、一曲まとまったソナタを弾きたいと考えました。となると、やはり「ソナタ イ短調 KV310」(1778年 22歳)になります。
 作曲年代という基本線からは外れるのですが、モーツァルト22歳の時の曲です。この時期は、パリに滞在、母親の病気に加えて就職の不成功という、実生活では困難な時期でしたが、創作面では充実期だったらしく、この曲の何ヶ月か前には、第一部で演奏しました「ランドール変奏曲」も完成させています。この同時期の2曲の違いを見るだけでも、モーツァルトの多様性がわかる気がします。
 緊張と弛緩の振幅が大きく、たいへん存在感のあるこのソナタを前に、あまり多くを語りたくない気がします。どうぞ、皆様それぞれのお心で、モーツァルトの音楽を存分におたのしみくださいませ。

◆番外として、「自動オルガンのためのアンダンテ ヘ長調 KV616」(1791年 35歳)を用意しました。
 死の年、35歳のモーツァルトの生活は困窮をきわめ、収入を得る手立てとして、機械仕掛けのオルガンのための音楽をいくつか書いています。
 曲の成立事情はともかく、一聴して、「魔笛」のメルヒェン的世界を思わせる響きが印象的です。
 鍵盤楽器の作品としては、KV(ケッヒェル)番号最後の曲になり、KV番号が626(「レクイエム」)までしかないのを思うと、ある感慨を覚えます。  (了)

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